こんにちは‼Asaです。
犬山城あそびの最終記事では、現地で仕入れたネタをもとに
・犬山城のすごいところ
・犬山城の城主(歴史)
・犬山城のマメ知識
をサクッとまとめています。
観光前にさらっとみてもらえたら犬山城あそびが更に楽しくなると思うので(パートナーやお子さんとの話のネタにも)ぜひみてください。
これまでの犬山城レポはコチラ↓↓
「シロイコ!!」は初心者むけのお城&周辺情報ガイドです。
知識あるなしカンケーなく、みんなでお城を楽しめる方法を発信しています。
犬山城は何がすごい?
「これだけ知っとけばもういいんちゃう」ってくらい重要なポイントです。
ちょっとよく分かんないけどすごそう
犬山城は現存12天守
江戸時代までにつくられて、今も残っている天守
【現存12天守】
弘前城(青森県)・丸岡城(福井県)・松本城(長野県)・犬山城(愛知県)・彦根城(滋賀県)・姫路城(兵庫県)・備中松山城(岡山県)・松江城(島根県)・松山城(愛媛県)・宇和島城(愛媛県)・高知城(高知県)・丸亀城(香川県)
江戸時代以前の天守が残ってるってなにげにすごいですよね。
戦を耐え抜いて、火災もまぬがれて(木造建築は火災多い)、一国一城令(徳川家康が出した「1つの藩に城は1個、他は全部壊せ」ってやつ ※1615年)もスルーして、戦争の犠牲にもならず・・・
そんなムリゲーをクリアしたお城が12城、そのひとつが犬山城です。
しかも、現存する木造天守としては日本最古
とにかくレア度がはんぱない‼
現存天守を歩いていると「今歩いてるこの床、触ってるこの壁、教科書に載ってるあのお殿様も触ってたかも・・・!??」と毎度毎度テンションぶちあがり もち補修されてるとこもありますが
あとは・・・バーチャルリアリティというか、現存天守に入ると没入感もはんばないですね。
推し活の聖地巡礼に通じるとこがあるかも・・・??
犬山城は国宝5天守
現存12天守のなかで国宝に指定されている天守
【現存12天守】
松本城(長野県)・犬山城(愛知県)・彦根城(滋賀県)・姫路城(兵庫県)・松江城(島根県)
単純に、12天守からさらに選び抜かれた5天守ってことなんですが
国宝に指定される決め手ってなんやろーーー??
わたしのような素人の感覚では「現存12天守なんやから全部国宝でよくない??」と思ってしまうんですよね・・・・
【国宝とは】
Weblio辞書,「国宝」より一部引用
重要文化財のうち、特に文化史的・学術的価値の高いものとして文部科学大臣が指定した建造物・美術工芸品・古文書など。
超ふわっとしてますが、たぶん専門的かつ細かすぎるゆえにこうなったのかなぁと
とりあえず「専門機関の審査をクリアしたら国宝」で、「歴史的価値」とか「建築技術」とか「保存状態」とか、そういう感じのことを総合的にみている、ってことでいいのかな・・・?
犬山城は現存12天守かつ日本最古の天守なので、そりゃ国宝にも・・・なりますよね!!
とりあえず日本の宝だというのはわかった。
犬山城の城主は誰?
犬山城で得た知識をもとに、犬山城の城主遍歴とカンタンなお城の歴史をまとめています。
専門的なところはスルーしてますが、「ある程度わかればいい」って方は暇つぶしにぜひみてください。
だんな(歴オタ)の助けも借りてます。
初代城主は信長の叔父さん
築城主は織田信康、戦国一有名な織田信長の叔父さんです。
が、天文16年(1547年)に戦で討死
叔父さん亡きあとは信長→秀吉→家康の争奪戦に
信康亡きあとは信康の息子(織田信清)が新城主に
が
領土の支配をめぐって信長とモメる
↓
戦に発展
↓
敗北して逃亡
という運命をたどったため、
池田恒興をはじめとした織田家の武将が以降の城主を務めています。
が
本能寺の変(信長討死)以降、織田家の一部と秀吉の関係性がビミョーに
そして犬山城にいた織田家城主との関係もビミョーになります。
と、いうことで‼
秀吉は池田恒興をもって犬山城を攻め落としました。
あれ?この武将・・・・??
そう、攻め落としたのは犬山城の元城主
信長の死後は秀吉に仕えていた恒興、かつての居城を攻め落としたんですね。
恒興は後堅固の城を後ろから攻め落としたといわれてる
城を知り尽くしてる恒興だからこそ、こういうワザができちゃう
かつての我が家ですから、そりゃもうなにからなにまで知り尽くしてますよね・・・・・・・
戦国時代のお城って奪い合いで城主がころころ変わるので、敵方にお城の構造つつぬけっていうのも結構あったのかなぁ、と勝手に推測してます。
わたしが城主になったらビビりすぎて頻繁にリフォームしそう・・・
約100年にもわたって成瀬家が管理する
元和3年(1617)には徳川家の付家老成瀬正成が入城、以降幕末まで成瀬家が代々城主を務めます。
三光稲荷神社でみた名前やね‼
明治24年(1891年)の濃尾大地震で天守は半壊しますが城主の成瀬家と犬山町民によって修復され、以降は成瀬家がお城(天守)を個人で所有するようになったようです。
犬山城は全国でただひとつ個人所有の城として長年保存されてきましたが、平成16年(2004年)に財団法人犬山城白帝文庫の所有となってます。
犬山城のマメ知識(だんなプレゼン)
ここからは僕が少しだけ補足します。
犬山城は木曽川を背にした「後堅固の城」
犬山城は「後堅固の城」と言われています。
後堅固とは、そのまま「お城の背後の守りが堅い」ことを指します。つまり「敵が背後から攻めにくい造りになっている城」ということですね。
もうお分かりかと思いますが、犬山城の背後には木曽川が流れており、これが天然の要塞として機能しています。
川を渡って攻めるにしても水の音がしたり色々バレやすいですし体力の消耗も激しいです。仮に渡河できたとしてもそこから城までの道のりが断崖なので、やはりかなり厳しいと思われます。
でも池田恒興に攻められたんよね??
そう、池田恒興は木曽川方面から攻め落としたと言われています。しかも一晩で。
恒興は元城主なので犬山城のことは知り尽くしています。そのため敢えて守りが強固な正面ではなく背後の木曽川を渡って攻めた…想定の裏をついた不意打ちですね。
話を戻しますが、一般的なセオリーでいうと犬山城の背後は非常に守りが堅いです。
木曽川をバックにして断崖に建つ犬山城は非常に勇ましく美しいので、正面からのアングルとともにその景観を是非楽しんでほしいなと思います。
犬山城の別名は「白帝城」、名付け親は李白
犬山城は「別名:白帝城」といいます。
これは江戸時代中期の儒学者 荻生徂徠が、中国・長江流域にある白帝城を詠んだ李白の詩「早發白帝城」にちなんで名付けたともいわれています。
確かに、木曽川沿いの小高い山上に建てられた犬山城と景観が似ているようにも思いますね。
※このツイートをされている中国武具刀剣botさんは、中国の武具刀剣文化を非常に詳しく紹介されていて非常に人気があります。ご興味がある方はぜひフォローしてください。
こちらは犬山城天守内にある展示資料です。漢詩の展示がしてありますね。
白帝城<李白>
朝に辞す白帝 彩雲の間
千里の江陵 一日に還る
両岸の猿声 啼いて住まず
軽舟已に過ぐ 万重の山朝早く、美しい朝焼け雲のたなびく白帝城に別れを告げた。
引用:公益社団法人関西吟詩文化協会,「漢詩紹介」
三峡を下り、千里も離れた江陵の地まで、たった一日で還って行く。
両岸の猿の鳴き声が絶え間なく聞こえているうちに、
軽やかな小舟は幾重にも重なった山々を通り抜けていった。
犬山城にお越しの際は、こちらも是非見つけてみてください。
犬山城レポはこれで終了します。
次回からは今まで通り、妻目線のゆるーーーい「金沢城レポ」をお届けします。